自分の色を織り交ぜて地域の宝に付加価値を。佐賀を彩る調色師。 

『株式会社 深海商店』

深海 宗佑さん

有田に戻り、産地を巡って気づいた宝物の多さ 

深海商店は1961年の設立以来、有田焼に色を付ける呉須・色絵具・釉薬の製造販売を行ってきました。  深海家の先祖は安土桃山時代に朝鮮半島から連れてこられた有田焼始祖の1人百婆仙(ひゃくばせん)さんです。 そんな歴史あるご家庭で育った深海家13代目の深海さん。熊本大学へ進学し、そのまま東京のコンサルティング会社に就職しますが、いずれ有田に戻って家業を継ぐという想いはずっと持っていたそうです。  2021年8月に有田に戻ってきてからは、家業の呉須(ごす)釉薬(ゆうやく)の製造販売はもちろん、有田焼の魅力を伝えるための歴史塾、学校での講演、ラグジュアリーツアーなど、およそ2年半ほどでこれまでにない新しい活動を展開してきました。 

そんな深海さんのターニングポイントは、有田の町で宝物を見つけた感覚を覚えたことだと言います。 

「Uターンしてからの話なんですが、18年間住んでいたはずなのに地域のことを全然知らなかったなと感じました。なおかつ、有名な窯元さんは知っているけど、そうじゃない窯元さんは知らなくて。知らなかった場所に自分も驚くような高い技術があって。そういう宝物探しみたいな感覚が非常に面白かったんです。探しているというよりは、ずっとあったのに知らない地域の宝物がどんどん見つかっていったって感じですね。
例えば、どろ窯さんだと、発想の豊かさとそこから作られる独自性の高い焼き物が魅力に感じています。」

有田焼を継承する第一人者としての意識を持つようになり、今まで気づかなかった地域の宝物が見えるようになったのですね。そんな深海さんが感じる“面白さ”には、どんな定義があるのでしょうか。  「僕が感じる面白さの定義は、独自の視点を持っていることと、プロフェッショナルとしての強いこだわりがあることです。有田に戻りたくさんの宝物を見つけました。そもそも物としてめちゃくちゃかっこよくて、その発見だけでも面白いんですが、実はそれはこういう経緯や背景で作られてるんだと後からわかるのが、また一層面白いなと。」

伝統ある有田焼に、1つ1つ手作業で独自のアイデアを加える「勇山どろ窯」さん。
釉薬を指で飛ばして模様をつける様子。

伝統継承の第一人者となり、改めて感じた有田焼の危機感

たくさんの宝物を見つけていった深海さんでしたが、実際に自分が第一人者になったからこそ、有田焼の危機感や課題感を感じていったそうです。 

「今のペースでは有田焼はなくなってしまうと思っています。有田焼ないし、肥前窯業圏で採用されている分業制のメリットって、それぞれの工程で高いスキルを持ったプロフェッショナルがいるってことだと思うんです。ただ、現状売上が立っていないので、まずは素材業、型屋さん、生地屋さん等が最初に、そして、窯元さんが、というように順番に廃業していくわけです。業種によっては10年以内には消滅予定ですし。分業制である以上、1業種が廃業すると全てのスキルを他の業種で引き継げる訳ではないです。呉須作りなら、うちがいなくなると日本で1番の品質のものが使えなくなる。そうすると細かい線が描けなくなったり、色々と不具合が起きるわけです。そうなると大量に安くできるわけでもないし、なおかつレベルも低いものになる。そうやって有田焼が徐々になくなってしまうんじゃないかなと思うんです。」 

200~250年毎に有田は大きく変わってきたといいます。 “消滅”という未来がすぐそこまで迫る近年、有田焼はこの大きな転換点を再び迎えているのです。 

地域の宝と宝、自分ができることを混ぜ合わせた深海さんの挑戦 

200年に一度の転換点に立った深海さんは「自分にできること」を模索してアプローチを始めます。そこでたどり着いたのは、深海商店が絵具を混ぜ合わせて有田焼に色を付けているように、自分が見つけた宝物を混ぜ合わせて、地域に新しい色を付けていくということでした。 

深海さんが企画したものの一つが「Arita Dining」という取り組みです。  「AritaDiningのパートは3つあって、1つ目に九州陶磁文化館を巡る、2つ目はこの深海商店の工場で行う有田焼とフランス料理を掛け合わせたディナー、3つ目が窯元さんや素材業を回ります。冒頭に必ず九州陶磁文化館を入れるんです。“九陶”と呼ばれるところで、有田焼の発祥から今までの歴史をわかりやすく展示してあります。“伝統工芸品”って言われたら、あまり面白くないイメージを持つと思うんですけど。 この400年間のなかにもいろんな挑戦やドラマがあって、そういうのを乗り越えて今があるっていうことを“九陶”で知れると、より一層面白いんじゃないかと思うんですよね。なおかつ、窯元さんを巡ることで現在の器の工程の奥深さを知ってもらったり、器がどのようにして、誰がどういうふうな思いで作っているのかを伝えることができるんです。」 

実際に参加されたお客さんのなかには「有田には長く関わってきたけれども、私は今まで一体有田の何を見てきたのだろう」という感想を持たれる方も多いそうです。 

高い技術は確実にある。今の有田焼に足りないものは、その高い技術や歴史、魅力を知ってもらうことだと確信した深海さん。自分の足で地域の宝物を見つけてきたからこそ、実際に有田の地に足を運んでもらい、自分の目で見て、触れて、感じてもらうことを大切にしています。 

地域づくりとは、自分の色を足して地域に付加価値を付けていくこと

深海さんにとって、地域づくりとは一体何でしょうか。 

「地域って“味わいのある宝の山”かな。地方には独自の地理的要因や風習に根付いた文化がある。偏に伝統産業といっても、いろんな発祥や成り立ちがあったり。そういう多様性が味わい深いなと思います。それを踏まえて、地域作りとはリブランディングだと思いますね。そもそも足元にいいものはたくさんあって、問題なのはその時代に合っていないとか、伝わりきれてないことだと思うので。それをリブランディングすることで、今生きる我々が魅力的だと感じられるようになるものはたくさんあると思うから。それを伝えられる活動をやれたらいいなと思っているところです。」 

最後に深海さんは「有田焼は最高の記録媒体」だと語ってくれました。  華やかなイメージがある有田焼も始まりは青色の呉須で描く染付だけで、そこから時代の流行に添って絵付けや色付けが行われたり、その時のライフスタイルに合った形に変化しています。 

歴史はただ続いていくわけではない。その第一人者となるならば、地域の魅力に目を向けてリブランディングを行い、そこに自分の色を織り交ぜながら新たな付加価値を付けることが求められるのでしょう。 

「これから何かやろうと思っているなら、まずは自分が興味を持ったものに関わってみる。その関係者とお話してみるのが最初の第一歩なんじゃないかと思います。そこで意気投合すれば新しいことを生み出せるかもしれないし、違えばまた別のものだなって探し続ければいいから。まずは興味を持ったものに自分で足を運んでみることが大切だと思います。」

ライター : 星野 アオイ
写真 : 鷲崎 浩太朗
編集 : 山本 卓

PROFILE

深海 宗佑(ふかうみ そうすけ)

佐賀県有田町生まれ。有田焼始祖の1人である百婆仙を先祖にもつ深海家の13代目。東京の大手コンサルティング会社での勤務を経て、2021年8月に有田町にUターン。家業である呉須釉薬製造・販売を行いながら、有田焼及び肥前窯業圏の再興を使命に日々躍進する。

株式会社 深海商店

公式サイト:
https://enogu-fukaumi.co.jp/
公式オンラインストア:
https://shop.enogu-fukaumi.co.jp/
Instagram:
https://www.instagram.com/gosufukaumi/

地域を活かし佐賀をつくる SAGA LOCALIST
LOCALIST(ローカリスト)は、佐賀県内で精力的に地域づくり活動に取り組んでいる方で、若い世代の方々にお願いしています。