▼この記事でわかること
・離島・向島の高齢者施設「サテライト向島」の職員インタビュー
・離島が抱える介護問題
・離島に高齢者施設を開設した理由
・開設後の反響、島民とのエピソード
サテライト向島のみなさん
2021年に島内に開設した高齢者施設&カフェ。今回お話を伺ったのは3人。
坂本スジ子さん
島で生まれ育ち、自身の両親を看取った際の経験からサテライト向く島を開所。
井本多美代さん
長年介護事業に携わった経験を活かして施設の運営を担当。
古川さやかさん
施設とカフェの厨房で調理を担当。島の小学校の最後の卒業生。現在も島在住。
https://vf-life.com/office/mukushima
高齢の人にとって島を出て暮らすのは難しい
2021年にオープンした高齢者施設「サテライト向島」(小規模多機能ホーム)。利用者は8人と一般的な施設と比べてかなり少人数。開設にあたっては運営の効率に関して、行政や唐津市内の施設のスタッフから反対の声も上がりました。
それでも開設に踏み切ったのは、坂本さんがかつて自身の両親を看取った際に強い後悔があったからだといいます。
「島で長く暮らした人にとって年を取ってから本土に出ていくのはハードルがとても高いこと。ここができる前はデイケアがないから、介護が必要な状態になると市内(本土)の病院か施設に入るしかありませんでした。私の両親も晩年になって島を出たけれど都会の環境になじめず、特に母には『島に帰りたい』と何度も言われました。当時は『ごめんね。我慢してね』と返すしかなく申し訳なかった。
亡くなる直前、向島が見える唐津市の駄竹地区に両親を連れて行ったんですよ。そうしたら二人とも泣いたんです。20年以上前のことだけど今でも鮮明に覚えているし、苦しくなるできごとです。その頃、施設の経営を始めていたから夫婦で過ごせる部屋を作ったんだけど、完成の一週間前に両親が亡くなってしまった。何も叶えてやれなかった、と思いました。やってあげたかったことをちゃんと形にしないと自分が一生後悔する。だから、いま生きている島の人たちの希望を叶えてあげようと。ただそれだけの気持ちです。」(坂本さん)
「なんでもやってあげる」がサポートではない
少しでも長く島で過ごしたいと願う島民たち。サテライト向島ができてから、島外の施設から戻ってきた方もいます。
「前の施設に見に行った時は、話しかけても全く反応がない方もいました。それがここに来たら、首がきちんと座ってごはんもしっかり食べられるようになった。ふるさとの環境が人に与えるエネルギーはこんなにも大きいんだなと。それだけ島を欲していたことを家族の方もわかっているからここに預けることを決めたんじゃないかな」(坂本さん)
サテライト向島ではデイケアのほか、利用者の家のシーツ交換をしたり、お弁当を家まで届けたりと、一人ひとりの状態や希望に合わせたサービスを提供しています。
他の離島と同じく漁業者が多く、生活の多くの部分を自分たちでまかなってきた島の人たちは年を重ねても自立心が強い人ばかり。寝たっきりの方もほとんどいません。そのため、なんでもやってあげるのではなく、あえて衛生面や環境面のサポートに留めているといいます。
施設内での過ごし方も自由。脳トレやオセロ、おしゃべりとそれぞれがやりたいことを楽しんでいます。利用時間内でも家に帰りたかったら帰っていい、利用者ではない人が遊びに来るのもOKといった島民一人ひとりを尊重する気風のおかげか、施設内の雰囲気は和やかです。
6人のスタッフをまとめているのが、サテライト向島の所長・井本多美代さん。元々は坂本さんが経営する唐津市内の他施設で働き、現在は市内から島まで定期船で通勤しています。
「昨年ぐらいからこれまで声をかけてくれなかった島の方からも、『今から帰るよな』『明日もまた来るじゃろうな』といった言葉をいただいて、受け入れてもらえたと思えました。みんなから『通うのは大変やろ』と言われるけれど、大変のたの字は『楽しいのた』なんです。自分の親はもういないけれど、島の方たちが本当の親みたい。この年になって人とこうやって過ごせるのは、向島で働いているから。社長のおかげですね」(井本さん)
落ちこんだときに島の人がくれた励ましの言葉
開設から現在4年目。これまで利用者の看取りや急変もありました。
「最初に亡くなったのは、がんになって突然余命宣告をされた方でした。残り半年もないからこそ島で暮らしたいという思いが強かったんですね。『島で死なせてくれ』と言われて、『わかりました。島でがんばってみましょう』と言ったら、それまで歩けなかったのに立ち上がれるようになったんですよ。抗がん剤を打った後だからいつもよりしんどかったはずだけど。どこで最期を迎えられるかが人に与える力ってものすごく大きいんです。
今でも亡くなった方の奥さんに会うたびに『ここがあったから夫の希望を叶えられました』と言われます。市内の病院や他の施設だったら会いに行けなかったけど、ここだから孫から手を握られて最期を迎えることができたって。島の人やその家族の希望に少しでも寄り添えたのかな、と思いました」(坂本さん)
「市内の施設に8年いた方が島に戻ってきてから1ヶ月ぐらいで亡くなったんですね。突発的な病気だったので仕方のない部分もあったけれど、無力感に打ちひしがれましたね。でも、落ち込んでいたら島の方が『(サテライトのみんなががんばっとることは)私たちがちゃんと知っとるけんよか。サテライトのことをなんも(悪くは)言わさんよ。』と声をかけてくれたんです。ご家族の方からも『最期の1ヶ月を島で過ごせてよかった』と言っていただいた。ほんとうにありがたかったですね」(井本さん)
人の晩年に寄り添う仕事だからこそ、ときには悲しいことも起きる。それでも、「できる限り長く島で生きたい」という願いを叶えられる場所ができたことは島の人たちにとって大きな希望になっています。
最近では唐津の市民病院の先生と連携し、医療的なサポートを受けるパイプもできました。定期船も車椅子に乗ったままで乗船できるようになり、島全体の医療・福祉をとりまく状況は以前と比べてとても良くなっています。
高齢者施設の役割を超えて「家の延長線上」でありたい
サテライト向島ができたことで、島に新たな雇用も生まれました。坂本さんがサテライト向島を立ち上げた理由の一つでもあります。島から市内まで出稼ぎに行っても定期船の時間の関係で16時ごろまでしか働けません。それならば、島内で長く働いた方が島の人にとっては利益になると考えたのです。
島で暮らすスタッフの一人が古川さやかさん。食品衛生責任者として厨房での調理を主に担当しています。古川さんの祖父も利用者の一人で、他の方ももちろん全員子どもの時からの知り合い。井本さんも「この子がいなかったら回らないんじゃないかと思うぐらいの戦力」と話します。
「利用者さんの体調が心配なときは島のスタッフがすぐに様子を見に行きます。小さな島だからこそできることかもしれません。利用者さんにとっても顔なじみの人がスタッフにいるのは安心できると思います」(井本さん)
週末は寄合所のようにカラオケやお菓子づくりの場としても開放。毎年、島留学の生徒の交流会や利用者とのクリスマス会が開かれ、島に関わる人たちにとって思い出の場所になりつつあります。
この日はオンライン診療と地域おこし協力隊による聞き書きの取材が行われていたこともあり、利用者以外の方も多く訪れ、とても賑やかでした
「施設だからここまでしかやりませんと線引きするのではなく、本当に必要なところに手を差し伸べたいんですよね。ごはんをつくるのが大変ならお家まで食事を届けるし、さびしいなら一緒に過ごします。昨日の夜も島内で一人暮らしする知り合いに声をかけてここで一緒に寝ました。台風の夜に一人で寝るのは心細いんじゃない、って。
島の人に言われて嬉しかったのは『サテライトに明かりがついているのをみるとホッとする』。これからも、安心してもらえる場所、家の延長線上のような存在でありたいです」(坂本さん)